
静岡の製造業が若手技術者を確保するための採用ブランディング
目次
静岡の製造業が若手技術者を確保するための採用ブランディング
「若い人が来てくれない。来ても3年で辞めてしまう」——静岡県の製造業の人事担当者から、この言葉を何度聞いたかわかりません。
私はこれまで500社以上の企業の人事に携わってきましたが、静岡の製造業が直面する若手技術者の確保は、今や経営の根幹に関わる課題です。技術の伝承、生産ラインの維持、新製品の開発——これらすべてに若手の力が不可欠であるにもかかわらず、「静岡の製造業で働く」という選択肢が若年層に十分に届いていない現実があります。
浜松市のある精密機器メーカーでは、5年前まで年間の新卒応募者が10名を切っていました。ところが、採用ブランディングの取り組みを始めてから3年目には応募者が50名を超え、技術職の採用に成功するようになりました。何が変わったのか——それは「伝え方」です。会社の実力は変わっていない。変わったのは、自社の価値をどう言語化し、どう届けるかという「採用ブランディング」の戦略でした。
静岡の製造業が持つ魅力と、その伝わりにくさ
静岡県は、日本有数の製造業集積地です。浜松のオートバイ・楽器・光電子、富士・富士宮の製紙・化学、静岡市の食品加工、磐田の自動車部品、焼津の水産加工——多種多様な製造業が根づいています。
これらの産業は、実は世界的に見ても技術レベルが高い。ヤマハ発動機やスズキの裾野には、独自の技術を持つ中小メーカーが数多く存在します。しかし、その「技術力の高さ」が若手の求職者に伝わっていないことが、採用における最大の課題です。
「製造業=3K」というイメージの壁
若年層の一部に、いまだに製造業に対する「きつい・汚い・危険」というイメージが残っています。実際には、最新のNC加工機や産業用ロボットが導入され、空調が整った清潔な工場も多い。しかし、そうした実態が外に見えていない。
富士市の化学メーカーで新卒採用を担当していた方は、こう話していました。「うちの工場を見学した学生の反応は、十中八九『イメージと全然違う』なんです。でも、見学に来る前の段階で選択肢から外されてしまう。見てもらえれば勝てるのに、見てもらえない」。
東京・名古屋への人材流出
静岡は東京と名古屋の中間に位置し、新幹線で双方へ1時間程度でアクセスできます。この地理的利便性が、逆に人材流出を加速させている面があります。静岡の大学を卒業した学生が「せっかくだから東京で働いてみたい」と考えるのは自然な心理です。
ただし、すべての若手が東京に行きたいわけではありません。「地元に残りたい」「静岡の自然環境で暮らしたい」「親の近くで子育てしたい」——こうしたニーズを持つ求職者に、自社の魅力を正しく届けることが、静岡の製造業にとっての採用ブランディングの核心です。
採用ブランディングとは何か
「ブランディング」という言葉を使うと、「うちみたいな中小企業にブランドなんてないよ」と反応される経営者がいます。しかし、採用ブランディングとは、テレビCMを打つことや洗練されたロゴを作ることではありません。
採用ブランディングとは、「この会社で働くとはどういうことか」を、求職者に対して一貫性を持って伝え続ける活動のことです。自社の強み、職場環境の実態、そこで働く人の姿——これらを意図的に言語化し、発信していくプロセスです。
重要なのは、「実態と乖離しないこと」です。採用広報で魅力的に見せても、入社後の実態が違えば早期離職につながります。等身大の自社を、最も魅力的な角度から見せる——それが採用ブランディングの本質です。
経営数字から見る採用ブランディングの投資対効果
採用ブランディングにコストをかける前に、経営数字からその投資対効果を検証しましょう。
若手技術者1名の「経営的価値」を可視化する
まず問うべきは、若手技術者1名の採用が会社にどれだけの価値をもたらすかです。
磐田市の自動車部品メーカーでは、技術職1名あたりの年間売上貢献額を算出しました。生産ラインの稼働率、1名あたりの加工出来高、歩留まり率——これらの数字から、技術職1名が年間で約800万円の売上に貢献していることがわかりました。採用・育成コストを差し引いても、入社2年目から明確に黒字化する計算です。
逆に、技術職が1名不足すると、残業増加による人件費上昇(月額15〜20万円)、生産ラインの稼働率低下(目標比95%→88%)、既存社員の疲弊による追加離職——といった負の連鎖が始まります。「若手技術者を採用できないこと」の経営コストを数字で示すことが、経営者の採用投資への理解を引き出す第一歩です。
採用ブランディングの費用対効果
採用ブランディングにかかるコストと、その効果を整理します。
企業紹介動画の制作:30〜100万円(外部委託の場合)。採用サイトのリニューアル:50〜200万円。SNS運用(Instagram、Twitter):月額5〜15万円(内製の場合は人件費のみ)。インターンシップの設計・運営:年間50〜100万円。社員インタビュー記事の制作:1本あたり3〜10万円。
これらの合計が年間200〜400万円としましょう。人材紹介経由で中途技術者を1名採用する手数料が年収の30%、つまり年収450万円の技術者なら135万円。2〜3名分の紹介手数料に相当する金額で、採用ブランディングの基盤を構築できる計算です。
しかも、採用ブランディングの効果は蓄積します。動画やSNSのコンテンツは1回作れば繰り返し活用でき、企業の認知度は年々上がっていく。単発の求人広告とは異なる、中長期的な投資対効果が期待できます。
静岡の製造業が実践できる採用ブランディング施策
ここからは、静岡の製造業が実際に取り組める採用ブランディングの具体策を紹介します。
1. 工場見学を「採用コンテンツ」に変える
静岡の製造業の最大の武器は「現場」です。実際の工場を見れば、製造業のイメージが覆る——先ほどの富士市のメーカーの話もそうでした。であれば、工場見学の機会を最大化することが、最も効果的な採用ブランディングになります。
しかし、すべての求職者に工場見学に来てもらうのは物理的に難しい。そこで有効なのが、工場の様子を動画で発信することです。
浜松市の光学機器メーカーでは、社員がスマートフォンで撮影した「工場の日常」をInstagramで発信しています。最新の加工機の操作風景、検査工程の精密さ、昼休みの食堂の様子——こうした「リアルな日常」が、外部から見ると新鮮なコンテンツになります。投稿を始めて1年で、フォロワーが3,000人を超え、「Instagramを見て応募しました」という求職者が出てきました。
高額な動画制作会社に依頼しなくても、スマートフォンと無料の編集アプリで十分なクオリティのコンテンツが作れます。大事なのは「プロの映像」ではなく「現場のリアル」を伝えることです。
2. 社員の声を最大の採用資産にする
求職者が最も信頼するのは、「そこで働いている人の声」です。会社の公式メッセージよりも、現場の社員のインタビューのほうが、はるかに説得力があります。
焼津市の食品加工機械メーカーでは、入社2〜5年目の若手技術者にインタビューし、その内容を採用サイトに掲載しています。「なぜ静岡の製造業を選んだのか」「入社前のイメージと入社後のギャップ」「仕事のやりがいと大変さ」——こうしたリアルな声が、同世代の求職者の共感を呼びます。
インタビューで重要なのは、良いことだけでなく「正直に話す」ことです。「最初の1年は覚えることが多くて大変だった」「地方の工場は人間関係が濃くて、最初は戸惑った」——こうした正直な発言こそが、信頼感につながります。良い話だけを並べた採用サイトは、かえって怪しく見えるものです。
3. 地元の学校との関係を「採用パイプライン」として設計する
静岡には、静岡大学、静岡理工科大学、浜松医科大学、常葉大学、浜松学院大学など多くの大学があり、浜松工業高校や静岡工業高校など工業高校も充実しています。これらの教育機関との関係を、戦略的な「採用パイプライン」として設計することが重要です。
掛川市の電子部品メーカーでは、静岡大学工学部の研究室と連携し、3年生向けのインターンシッププログラムを毎年実施しています。2週間のプログラムで、実際の製品開発プロジェクトに参加してもらう。インターンに参加した学生の約40%が、最終的に入社しているというデータがあります。
さらに、この企業では高校への「出前授業」も行っています。自社の技術者が工業高校に出向き、「製造業の仕事の実態」を授業形式で伝える。直接の採用につながるのは2〜3年後ですが、「あの会社は面白そう」という記憶が、進路選択の際に思い出されます。
4. 「静岡で暮らす」という価値を採用メッセージに組み込む
若手技術者の採用は、「仕事」だけでなく「暮らし」の提案でもあります。特に、東京や名古屋からのUターン・Iターン人材をターゲットにする場合、「静岡で暮らすことの魅力」を具体的に伝えることが重要です。
海がある、山がある、温暖な気候、美味しい食べ物——静岡の暮らしの魅力は多くありますが、採用メッセージとしてはもっと具体的に伝える必要があります。
「週末はサーフィンをする技術者」「富士山を見ながら通勤するエンジニア」「お茶畑の中にある工場で最先端の加工機を操る若手」——こうした「静岡の製造業で働くライフスタイル」を視覚的に伝えることで、「ここで働いてみたい」というイメージを喚起します。
御殿場市の半導体関連メーカーでは、採用パンフレットに「社員の休日の過ごし方」というページを設けています。富士山でのトレイルランニング、御殿場アウトレットでのショッピング、箱根の温泉——仕事以外の生活が充実していることを伝えることで、「仕事と生活のバランスが取れる働き方」をアピールしています。
5. 技術力を「見せる」取り組み
静岡の中小製造業には、世界でもトップクラスの技術を持つ企業が少なくありません。しかし、BtoB企業が多いため、一般消費者や求職者には知られていない。この「知られていない技術力」を見せることが、採用ブランディングの強力な武器になります。
藤枝市の精密部品メーカーでは、自社の加工技術で作った「技術デモ製品」をSNSで発信しています。直径0.1mmのネジ、髪の毛より細いワイヤーの加工品——こうした「すごい技術」を視覚的に見せることで、技術者の好奇心を刺激します。
また、展示会やものづくりイベントへの出展も効果的です。「しずおかものづくり展」のような地域のイベントに技術デモを出展し、来場者に自社の技術力を体感してもらう。技術力の高さを「説明する」のではなく「体感してもらう」ことで、求職者の記憶に残ります。
若手技術者が「辞めない」職場づくり
採用ブランディングで若手を採用できても、入社後に辞められてしまっては意味がありません。定着のための組織づくりも、採用ブランディングと一体で考える必要があります。
入社後ギャップの最小化
早期離職の最大の原因は「入社後ギャップ」です。採用広報で見せた姿と、実際の職場環境が違うと、「騙された」という感覚が生まれ、離職につながります。
これを防ぐために重要なのは、選考段階での「リアリティ・プレビュー」です。良い面だけでなく、仕事の大変さ、地方の製造業ならではの文化、キャリアパスの現実——これらを正直に伝えることで、入社後のギャップを最小化できます。
沼津市の食品メーカーでは、最終面接の後に「現場体験」を設定しています。半日間、実際の製造現場に入り、ラインの作業を体験してもらう。「この仕事を毎日できるかどうか」を自分で判断してもらう機会を設けることで、入社後の「こんなはずじゃなかった」を防いでいます。
若手が「成長実感」を得られる仕組み
若手技術者が会社に定着するかどうかは、「成長している」という実感があるかどうかに大きく左右されます。毎日同じ作業の繰り返しでは、モチベーションが下がる。一方で、段階的に難易度の高い仕事を任せ、定期的にフィードバックを与えることで、成長実感が生まれます。
浜松市の電機メーカーでは、若手技術者向けの「スキルマップ」を導入しています。各技術領域について4段階の習熟度を定義し、半年ごとに上長と面談して到達度を確認する。「今どこにいて、次に何を学べばステップアップできるか」が明確になることで、成長の方向性が見えるようになります。
「相談できる先輩」の存在
製造現場の若手にとって、「困ったときに相談できる人がいるかどうか」は、定着に直結する要素です。正式なメンター制度でなくても、入社後半年間は「相談相手」として先輩社員を1名つける——それだけでも、若手の孤立感は大きく軽減されます。
島田市の茶業関連メーカーでは、入社3年目の社員を新入社員の「ブラザー・シスター」として任命しています。年齢が近い先輩のほうが相談しやすいという配慮です。「先輩に気軽に聞ける雰囲気がある」という口コミが広がり、それ自体が採用ブランディングの一部になっています。
採用ブランディングの効果測定
採用ブランディングは中長期的な取り組みですが、効果を測定する指標を持っておくことが重要です。
定量指標
応募数の推移(特に自社サイト経由の応募数)。内定承諾率。入社後1年以内の定着率。採用単価(1名あたりの採用コスト)。SNSのフォロワー数・エンゲージメント率。
定性指標
「なぜ応募したか」の回答パターンの変化。面接での候補者の自社理解度。入社後のアンケートでの「入社前イメージとの一致度」。地域での自社認知度(学校関係者や行政への聞き取り)。
これらの指標を半年〜1年単位で追跡し、施策の効果を検証・改善するサイクルを回すことが、採用ブランディングの持続的な成果につながります。
静岡の製造業が持つポテンシャル
静岡の製造業には、若手技術者を惹きつけるポテンシャルが十分にあります。世界に通用する技術力、温暖で暮らしやすい環境、都市部へのアクセスの良さ——これらの強みを、戦略的に発信していくことが求められています。
採用ブランディングは、一朝一夕で成果が出るものではありません。しかし、地道に取り組みを続けることで、「静岡の製造業で働く」という選択肢が若年層にとって魅力的なものになっていく。そのための第一歩は、自社の強みを改めて棚卸しし、それを「誰に」「どのように」伝えるかを設計することです。
経営数字から投資対効果を検証し、等身大の自社を魅力的に伝え、入社後の定着まで一貫して設計する——この一連のプロセスが、静岡の製造業の採用力を根本から変えていきます。
本記事は、東海地方の製造業における人事課題を長年支援してきた経験に基づいて執筆しています。個別の人事課題についてのご相談は、人事図書館にてお受けしています。
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