
東海の医療・介護施設が人材確保と定着を両立させる方法
目次
東海の医療・介護施設が人材確保と定着を両立させる方法
「採用しても辞める、また採用してまた辞める」——この繰り返しに疲れた医療・介護施設の管理者は、東海地方にも数多くいます。
私はこれまで500社以上の企業の人事に携わってきましたが、医療・介護分野の人材課題は、一般企業の採用難とは質が異なります。慢性的な人手不足の中で24時間365日のサービスを維持しなければならないというプレッシャー、身体的・精神的な負荷の高さ、そして「やりがいはあるが報われない」という現場の声——これらの構造的な課題に対して、個別の施設ができることは何か。その答えを探していきます。
名古屋市千種区の介護施設、従業員60名。この施設では、3年前まで年間離職率が28%に達していました。毎年15名前後が辞め、その補充に追われる日々。しかし、人事戦略を見直してからの2年間で離職率は12%まで低下し、「ここで長く働きたい」と言う職員が増えてきました。何が変わったのか——それを紐解いていきます。
東海地方の医療・介護人材を取り巻く環境
東海地方の医療・介護施設が直面する人材課題には、全国共通の問題に加えて地域特有の構造があります。
製造業との人材競合
東海地方は日本最大の製造業集積地です。トヨタ関連企業をはじめとする製造業が、比較的高い給与水準で人材を吸引しています。介護職の給与水準は、製造業の生産職と比較すると低い傾向にあり、「同じ体力仕事なら、工場のほうが給料がいい」という理由で介護業界を敬遠する求職者がいます。
高齢化の進行と需要の増加
東海地方でも高齢化は着実に進行しています。特に、岐阜県の山間部や三重県の南部では高齢化率が高く、介護サービスの需要が増加し続けています。需要は増えるのに担い手は減る——この需給ギャップが、今後さらに拡大する見通しです。
名古屋への人材集中
医療・介護人材も、名古屋市内の大規模病院や施設に集中する傾向があります。郊外や地方部の施設は、名古屋との給与差・アクセスの差が、採用においてハンディキャップになっています。
経営数字で人材課題を可視化する
医療・介護施設の人事課題は「現場が大変」という感覚論で語られがちですが、経営数字で可視化することで、投資判断の精度が上がります。
離職コストの試算
介護職1名の離職にかかるコストを試算しましょう。採用広告費・紹介手数料(20〜80万円)。入社後の研修・OJT期間の非効率(月額10〜15万円×3ヶ月=30〜45万円)。退職者の有給消化・引き継ぎ期間のコスト(約20万円)。残った職員への負荷増による残業代増加(月額5〜10万円×3ヶ月=15〜30万円)。
合計すると、1名の離職で80〜170万円のコストが発生します。離職率28%で60名の施設なら、年間15名前後が退職し、離職関連コストは年間1,200〜2,500万円。この数字を経営者に示すと、「定着に投資するほうがはるかに安い」ということが実感として理解されます。
1名あたりの売上貢献額
介護施設の場合、入居者(利用者)1名あたりの介護報酬から、職員1名あたりの売上貢献額を算出できます。例えば、特別養護老人ホームの場合、入居者1名あたりの月額介護報酬が約25万円、職員1名あたりの担当入居者数が3名とすると、月額75万円、年間900万円の売上貢献。人件費(年間400〜450万円)を差し引いても、十分に利益に貢献しています。
逆に言えば、職員が1名不足するたびに、入居者の受け入れ枠を減らさざるを得ず、年間数百万円の収益機会を失うことになります。
採用を改善する具体的なアプローチ
医療・介護分野の採用は、従来型の求人広告だけでは十分な効果が得られなくなっています。東海地方の施設が実践している、新しい採用アプローチを紹介します。
1. 「介護のリアル」を見せる採用広報
介護業界に対するネガティブなイメージ(「きつい」「暗い」「給料が安い」)は根強いですが、現場のリアルはそのイメージとは異なることが多い。入居者の笑顔、チームワークの良さ、感謝の言葉をもらえる瞬間——こうしたポジティブなリアルを発信することが、イメージの刷新につながります。
豊田市の特別養護老人ホームでは、職員がスマートフォンで撮影した「現場の日常」をInstagramで発信しています(利用者のプライバシーには十分配慮した上で)。レクリエーションの様子、職員同士の休憩時間の和やかな雰囲気、研修の風景——こうした投稿が、「介護ってこんな感じなんだ」という新しい認知を生み出しています。
2. 異業種からの転職者を積極的に受け入れる
介護業界は、未経験からでも入職できる数少ない専門職です。製造業、サービス業、小売業——異業種から介護に転職する人は少なくありません。特に東海地方では、製造業の期間工を経て「人と関わる仕事がしたい」と介護に転職するケースがあります。
異業種からの転職者を受け入れるためには、「未経験でも安心して学べる環境」を整備し、それを求人で明確に伝えることが重要です。
岐阜市の介護施設では、未経験者向けの「90日間育成プログラム」を設計しています。最初の1ヶ月は座学と見学、2ヶ月目は先輩職員との同行実習、3ヶ月目は少しずつ自立した業務を開始——このステップを明示することで、「未経験でもやっていけそう」という安心感を与えています。
3. 資格取得支援と「キャリアアップ」の道筋
介護職は、初任者研修→実務者研修→介護福祉士→ケアマネジャー→管理者——というキャリアアップの道筋が比較的明確です。この「成長の道筋」を採用メッセージの核にすることで、「長く働ける仕事」としての魅力を伝えられます。
資格取得にかかる費用(初任者研修:5〜10万円、実務者研修:10〜20万円)を施設が負担する制度を設けている企業は、求職者からの評価が高い。さらに、資格取得後の昇給額を明示することで、「頑張れば報われる」という実感を与えられます。
4. 外国人介護人材の戦略的活用
東海地方の介護施設でも、外国人材の活用が進んでいます。EPA(経済連携協定)に基づくインドネシア・フィリピン・ベトナムからの介護福祉士候補者、技能実習制度による介護人材、特定技能1号の介護——複数の受け入れルートがあります。
外国人材を「人手不足の穴埋め」ではなく、「チームの一員」として受け入れる姿勢が重要です。日本語教育の支援、文化の違いへの理解、住環境の整備——こうした受け入れ体制の整備には初期投資がかかりますが、中長期的には安定した人材確保の柱になります。
四日市市の介護施設では、ベトナム人介護職員4名を受け入れ、日本語学習の時間を勤務時間内に確保する、ベトナム語の業務マニュアルを作成する——といった支援を行っています。3年目にはこの4名全員が介護福祉士の国家試験に挑戦するレベルまで成長し、施設の中核的な戦力になっています。
定着を実現するための組織づくり
採用よりもさらに重要なのが、入職した人材を定着させることです。離職の原因を構造的に分析し、対策を打つことが求められます。
離職の主な原因とその対策
原因1:人間関係の問題
介護現場はチームワークが不可欠ですが、それゆえに人間関係のストレスが大きい。先輩職員からの指導が厳しすぎる、派閥ができている、相談できる人がいない——こうした問題が離職の引き金になります。
対策として有効なのは、「管理者が現場の人間関係を把握し、早期に介入する仕組み」を作ることです。月1回の個人面談、匿名のアンケート、管理者と職員の1on1——こうした場を設けることで、問題が深刻化する前に手を打てます。
原因2:身体的・精神的な負荷
入浴介助、移乗介助、夜勤——介護職の身体的負荷は大きい。腰痛で退職する職員も少なくありません。また、利用者の死に直面する精神的な負荷も、見過ごしてはならない課題です。
身体的負荷への対策としては、介護ロボットやリフトの導入が効果的です。初期投資はかかりますが、職員の身体的負担を軽減し、離職を防ぐ効果があります。精神的負荷への対策としては、グリーフケア研修やメンタルヘルスの相談窓口の設置が有効です。
静岡市の介護施設では、移乗用リフトを全フロアに導入し、腰痛による退職がゼロになりました。リフト1台あたり30万円、10台で300万円の投資でしたが、離職防止による採用コストの削減効果(年間500万円以上)を考えると、十分な投資対効果です。
原因3:給与への不満
介護職の給与水準は、他の産業と比較して低い傾向にあります。これは構造的な問題であり、一つの施設の努力だけで解決することは難しい。しかし、限られた原資の中でも工夫の余地はあります。
処遇改善加算を最大限活用し、その原資を職員の給与に反映させる。夜勤手当や資格手当を充実させる。業績連動の賞与を導入し、施設の経営成果を職員に還元する——こうした取り組みにより、「同業他施設よりも報われる」という実感を作ることが可能です。
原因4:成長実感の欠如
「毎日同じことの繰り返しで、成長している気がしない」——この感覚が、特に若手職員の離職につながります。
対策としては、定期的なスキル評価とフィードバック、外部研修への参加機会、キャリアパスの明示——が効果的です。「今ここにいる自分」と「将来の自分」をつなぐ道筋が見えることが、定着のモチベーションになります。
施設長・管理者の役割
人材確保と定着において、施設長・管理者の役割は極めて大きい。現場の雰囲気、職員間の関係性、仕事への意欲——これらは、管理者のリーダーシップに大きく左右されます。
「管理者研修」の重要性
優秀な介護職員がそのまま優秀な管理者になるとは限りません。介護の技術と、組織のマネジメントは、求められるスキルが異なります。管理者向けのマネジメント研修——チームビルディング、面談スキル、労務管理——を体系的に行うことが、組織全体の人材定着に寄与します。
瀬戸市の介護施設では、管理者候補を対象とした「リーダー育成プログラム」を年間で実施しています。月1回の集合研修(4時間)と、日常業務の中での実践課題を組み合わせたプログラムで、1年間かけてマネジメントスキルを養成する。このプログラムを修了した管理者のフロアは、離職率が他のフロアの半分以下という結果が出ています。
地域連携による人材確保
医療・介護の人材確保は、1施設の努力だけでは限界があります。地域全体で取り組む連携の仕組みが重要です。
介護福祉士養成校との連携
東海地方には、介護福祉士を養成する専門学校や短期大学があります。これらの養成校との関係を構築し、実習の受け入れ、出前授業、学内企業説明会への参加——を通じて、将来の人材パイプラインを作ることが重要です。
ただし、介護福祉士養成校の入学者数自体が減少している現実もあります。養成校との連携に加えて、高校生や中学生に対する介護の仕事の魅力発信(職場体験・出前授業)など、さらに上流の取り組みも必要です。
地域の医療機関との人材交流
医療と介護の連携が進む中、病院から介護施設へ、介護施設から病院へという人材の流動が生まれています。地域の医療機関と連携し、「病院での経験を介護で活かす」「介護での経験を病院で活かす」というキャリアパスを提示することで、人材の選択肢が広がります。
テクノロジーの活用による業務負荷の軽減
人材確保と並行して、テクノロジーを活用した業務負荷の軽減も重要な施策です。
介護記録のICT化
紙ベースの介護記録をタブレット入力に切り替えることで、記録業務の時間を大幅に削減できます。ある施設では、記録時間が1日あたり30分短縮され、その分を利用者とのコミュニケーションに充てることができるようになりました。
見守りセンサーの導入
夜間の見守り業務は、職員の身体的・精神的負担が大きい。見守りセンサーを導入することで、異常時のみ対応する体制に変えられます。夜勤の負担軽減は、離職防止に直結する施策です。
コミュニケーションツールの導入
シフト制で働く介護職員同士の情報共有は課題になりがちです。ビジネスチャットツール(LINE WORKSやSlackなど)を導入し、申し送り事項やシフト変更の連絡をリアルタイムで共有できる仕組みを作ることで、コミュニケーションの効率が上がります。
中長期的な視点:「選ばれる施設」になるために
人材確保と定着を両立させるためには、短期的な採用テクニックだけでなく、「この施設で働きたい」と思ってもらえる組織を作る中長期的な取り組みが不可欠です。
職員が「ここで働いていて良かった」と思える職場は、自然と口コミで評判が広がり、採用にも好影響を与えます。逆に、離職率が高い施設の評判は、求職者の間で瞬く間に広がります。
経営数字で課題を可視化し、現場の声に基づいて施策を設計し、一つずつ着実に改善を積み重ねる——地味に見えるこのプロセスこそが、東海地方の医療・介護施設の人材課題を解決する王道です。
本記事は、東海地方の医療・介護施設における人事課題を長年支援してきた経験に基づいて執筆しています。個別の人事課題についてのご相談は、人事図書館にてお受けしています。
関連記事
エンゲージメント東海の企業が「退職面談」から組織改善のヒントを得る方法
退職する社員との面談は、形式的に行っているだけ。次が決まっているのでと言われて、それ以上聞けずに終わる——名古屋市の部品メーカーの人事担当者が、退職面談の実態を語りました。東海地方の中小企業では、退職面談を実施している企業自体が少なく、実施していても形式的な手続きの一環に過ぎないケースが大半です。
エンゲージメント東海の企業が新入社員の早期離職を防ぐ実践アプローチ
4月に5名の新卒を迎えたのに、1年後に残っていたのは2名だけ。採用にかけたコストと育成の手間を考えると、本当にやるせない——春日井市の機械部品メーカーの社長が、深いため息とともに語りました。新入社員の早期離職は、東海地方の中小企業にとって深刻な問題です。全国的に入社3年以内の離職率は約3割と言われますが、中小企業で
エンゲージメント東海の企業が「退職面談」から組織改善のヒントを得る方法
辞めていく社員から本当の退職理由を聞き出せたことがない——名古屋市の中堅メーカーの人事部長が、退職面談の形骸化を嘆いてこう話しました。退職届を受理した後に行う退職面談では、新しい挑戦がしたい家庭の事情といった当たり障りのない理由しか出てこない。しかし、退職した社員のSNSや転職サイトの口コミを見ると、上司
エンゲージメント東海の企業が新入社員の早期離職を防ぐ方法
4月に入社した新入社員が、6月には3名辞めた——名古屋市の中堅商社の人事部長が、力なくこう報告してくれました。新卒5名のうち3名がわずか3ヶ月で退職。前年も5名中2名が1年以内に辞めています。採用活動に年間約500万円を投じ、内定者フォローにも手間をかけた結果がこれでは、徒労感が大きいとのことです。