
東海の企業が人事と現場の「壁」を壊す方法
目次
東海の企業が人事と現場の「壁」を壊す方法
「人事が考えた制度を持ってきても、現場の実態に合っていない。机上の空論だ」——豊田市の自動車部品メーカーの製造部長が、苛立ちを隠さずにこう言いました。一方、人事部長は「現場に協力を求めても、忙しいの一点張りで話を聞いてもらえない。人事は嫌われ役だ」と嘆いていました。
私はこれまで500社以上の企業の人事に携わってきましたが、人事と現場の「壁」は、東海地方の企業で最も多く目にする組織課題の一つです。製造業が多い東海地方では、現場(工場、営業、技術)のリーダーは「モノを作る」「売上を上げる」ことに全力を注いでおり、人事が持ち込む制度や施策を「現場を知らない人間が作った余計なもの」と感じがちです。
この壁は、双方に原因があります。人事側は現場の業務実態を十分に理解しないまま制度を設計し、現場側は人事の施策の背景にある経営課題を理解しようとしない。互いの「言葉」が通じない状態が続き、溝は深まる一方です。
しかし、この壁を放置すると、組織は確実に弱体化します。人事施策が現場に浸透せず、形骸化する。現場の人材課題が人事に伝わらず、手遅れになってから対処することになる。評価や育成が現場のニーズとずれ、社員の不満が蓄積する。人事と現場の壁は、経営効率の低下に直結するのです。
岡崎市の機械メーカー、従業員200名。人事と現場の壁を壊す取り組みを2年間続けた結果、人事施策の現場浸透率が35%から82%に向上。管理職の人事評価スキルが改善し、評価に対する社員の納得度が40%から72%に上昇。離職率は15%から9%に改善しています。
なぜ人事と現場の壁が生まれるのか
構造的な要因を分析します。
言語の違い
人事は「コンピテンシー」「エンゲージメント」「タレントマネジメント」といった専門用語を使いますが、現場のリーダーにとってこれらは馴染みのない言葉です。逆に、現場は「サイクルタイム」「歩留まり」「段取り替え」といった業務固有の用語を使います。互いの言葉が通じないため、コミュニケーションの質が低下します。
優先事項の違い
現場の最優先事項は「目の前の業務を回すこと」です。生産計画の達成、顧客への納期対応、品質管理——日々の業務に追われる中で、人事施策は「後回しにしても大きな問題が起きないもの」と認識されがちです。一方、人事は「中長期的な組織の健全性」を重視しており、「今すぐの業務」よりも「半年後、1年後の組織」を見ています。この時間軸の違いが、優先事項の衝突を生みます。
相互理解の不足
人事が現場の業務を体験したことがない。現場のリーダーが人事の業務を知らない。互いの仕事の大変さや制約条件を理解していないため、相手への共感が欠如しています。
名古屋市の商社では、人事部門と営業部門の関係が特に悪化していました。人事が設計した新しい評価制度について営業部長に説明したところ、「売上を上げている営業の手を止めさせて評価シートを書かせるのか。売上が下がったら人事が責任を取るのか」と激しい反発を受けました。人事側は「評価制度の重要性をわかってくれない」と感じ、営業側は「現場の忙しさをわかっていない」と感じる。この認識のギャップが壁の正体です。
経営数字で「壁」のコストを測る
人事と現場の壁が、経営にどのような損失をもたらしているかを数字で検証します。
人事施策の浸透率低下による損失
人事が設計した評価制度や育成施策が現場に浸透しなければ、その設計に投じた時間とコストが無駄になります。評価制度の設計に200時間かけても、現場の管理職が形式的にしか運用しなければ、効果は半減以下です。人件費換算で100〜200万円の投資が活きない計算になります。
管理職の人事対応工数の非効率
人事と現場の連携が悪いと、管理職は「人事からの依頼への対応」に余計な時間を取られます。評価シートの書き方がわからない、研修の日程調整が煩雑、採用面接の基準が不明確——こうした「本来不要な手間」が、管理職の時間を奪います。管理職20名が月に5時間ずつ余計な工数を取られているとすると、年間で約600万円(人件費換算)の損失です。
離職率への影響
人事と現場の壁が厚い企業では、評価への不満(「人事の制度が現場に合っていない」)、育成機会の不足(「人事は研修ばかりやるが、現場のニーズと合っていない」)、キャリアの不透明さ(「人事が何を考えているかわからない」)が離職の原因になります。
壁を壊す5つの施策
施策1:人事の「現場体験」を制度化する
人事担当者が現場の業務を体験する制度を作ります。
具体的な方法
人事担当者が四半期に1回、現場部門で1〜2日間の業務体験を行います。製造部門なら工場での作業補助、営業部門なら営業同行、技術部門なら設計作業の見学など。目的は「現場の大変さを体感する」ことと「現場のメンバーと直接コミュニケーションをとる」ことです。
浜松市の機械メーカーの人事課長は、工場での2日間の体験を通じて、「評価シートの記入に30分かかるという不満の意味がやっとわかった。3交代制の現場で30分を確保することがどれだけ大変か、体験するまで想像できていなかった」と語っています。
この体験を踏まえて評価シートを簡素化したところ、記入時間が30分から10分に短縮され、現場の協力度が大幅に向上しました。
施策2:現場のリーダーを人事プロジェクトに巻き込む
人事施策の設計段階から、現場のリーダーを参加させます。
具体的な方法
新しい人事制度(評価制度、研修制度、採用基準など)を設計する際、プロジェクトチームに現場のリーダー2〜3名を含めます。現場のリーダーが設計に参加することで、現場の実態に即した制度ができるだけでなく、「自分たちが関わった制度」として、現場への浸透がスムーズになります。
岡崎市の機械メーカーでは、評価制度の改定プロジェクトに製造部門の課長2名と営業部門の課長1名を参加させました。この3名が現場の実態を踏まえた意見を出し、制度設計に反映された結果、「現場に合った制度」として受け入れられ、運用のトラブルが激減しました。
施策3:「人事用語」の翻訳
人事の専門用語を現場の言葉に翻訳して伝えます。
具体的な方法
たとえば、「エンゲージメント向上施策」を現場に説明する際、「エンゲージメントを高めましょう」ではなく、「社員が『この会社で働き続けたい』と思える職場にするための取り組みです。具体的には、日々の仕事で『やりがい』を感じられる仕組みと、上司と部下のコミュニケーションを改善する仕組みを作ります」と翻訳して伝えます。
名古屋市のIT企業の人事部長は、「タレントマネジメント」を現場に説明する際に「誰が何をできて、将来何をしたいかを見える化して、適材適所の配置と計画的な育成をする仕組み」と説明するようにしました。この「翻訳」だけで、現場の反応が劇的に変わったとのことです。
施策4:定期的な人事・現場合同ミーティング
人事部門と現場の部門長が定期的に顔を合わせ、情報共有と課題のすり合わせを行います。
具体的な方法
月1回、60分の「人事・現場連携ミーティング」を開催します。アジェンダは以下の3つです。人事からの報告として、今月の採用状況、研修の実施報告、人事制度の運用上の確認事項。現場からの報告として、人員の過不足状況、現場で発生している人事課題(離職、モチベーション低下、スキル不足など)。相互の課題の話し合いとして、人事と現場が協力して解決すべき課題のディスカッション。
刈谷市の部品メーカーでは、この月次ミーティングを2年間継続した結果、「人事が何をやっているか」の理解が現場に浸透し、人事への協力度が大幅に向上しました。現場の部長からは「以前は人事からの連絡は面倒くさいものだったが、今は一緒に課題を解決するパートナーだと思えるようになった」という声が上がっています。
施策5:HRBP(Human Resource Business Partner)の配置
人事部門から各事業部門に「担当者」を配置する仕組みです。
具体的な方法
大企業では「HRBP」というタイトルで配置されることが多いですが、中小企業では「人事の○○さんは製造部門の担当」「△△さんは営業部門の担当」という形で、担当制を敷くだけでも効果があります。担当者は自分の担当部門の業務を深く理解し、部門のリーダーとの信頼関係を構築して、人事施策と現場ニーズの橋渡し役を務めます。
名古屋市の中堅メーカーでは、人事部門3名を3つの事業部門の担当として配置しました。担当者は週1回、担当部門のフロアに出向いて現場のリーダーと雑談レベルの情報交換を行っています。この「非公式な接点」が、正式な会議では出てこない現場の本音を引き出す効果を生んでいます。
壁を壊すための経営層の役割
人事と現場の壁を壊す取り組みは、経営層のコミットメントなしには進みません。
経営層が果たすべき役割
「人事は経営の重要機能である」と明言する。人事と現場の連携を経営方針として位置づける。人事の施策に対する現場の協力を、経営層から直接求める。人事と現場の合同ミーティングに、経営層が定期的に参加する。
四日市市の化学メーカーの社長は、毎月の経営会議で「人事の報告」を議題に含めています。以前は経営会議で人事の話題が取り上げられることはなく、人事は「経営の議論に参加できない裏方」と見られていました。社長が人事を経営課題として位置づけることで、他の部門長も人事施策への関心と協力度が大きく変わりました。
段階的な取り組みの進め方
第1段階(1〜3ヶ月):現状の把握
人事と各部門のリーダーにインタビューを実施し、「壁」の実態と原因を把握する。過去の人事施策で「うまくいかなかった」ケースを分析し、原因を特定する。
第2段階(4〜6ヶ月):小さな成功を作る
最も協力的な部門を選び、施策1〜3を先行実施する。人事担当者の現場体験を開始する。現場リーダーを人事プロジェクトに1名巻き込む。
第3段階(7〜12ヶ月):全社展開
成功事例を基に、他部門にも展開する。月次の人事・現場連携ミーティングを制度化する。HRBP的な担当制を導入する。
第4段階(13ヶ月以降):定着と深化
取り組みの効果を定量的に測定する。さらなる改善を継続する。
人事と現場の壁は、どちらか一方が悪いのではなく、構造的な問題として捉える必要があります。互いの言葉を理解し、優先事項を尊重し、共通の目標(事業の成長と社員の活躍)に向かって協力する仕組みを作ること。それが壁を壊す唯一の方法です。まずは、人事担当者が現場の業務を1日体験することから始めてみてください。現場を知ることが、すべての出発点です。
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