東海の企業が「暗黙知」を形式知に変える方法
制度設計・運用

東海の企業が「暗黙知」を形式知に変える方法

#評価#組織開発#経営参画#制度設計#離職防止

東海の企業が「暗黙知」を形式知に変える方法

「あのベテランが辞めたら、この工程は誰も回せなくなる。マニュアルはあるが、本当のコツはマニュアルには書かれていない」——豊田市の自動車部品メーカーの製造部長が、深刻な顔で語りました。東海地方は製造業の集積地であり、ものづくりの現場には長年にわたって蓄積された「暗黙知」——言葉にされていない知識やノウハウ——が膨大に存在しています。この暗黙知が特定の社員の頭の中にだけ存在している状態は、組織にとって大きなリスクです。

私はこれまで500社以上の企業の人事に携わってきましたが、暗黙知の問題は東海地方の企業で特に深刻です。団塊の世代の大量退職が進み、ベテラン社員の持つノウハウが急速に失われつつあります。「人が辞めると、知識も一緒に辞めてしまう」——この状態を放置することは、事業の持続可能性を脅かします。

暗黙知を形式知に変えるとは、「個人の頭の中にある知識やノウハウを、組織全体で共有できる形にすること」です。マニュアル化、データベース化、教育プログラム化——方法はさまざまですが、重要なのは「知識を個人から組織に移転する」という意識を持つことです。

岡崎市の精密機器メーカー、従業員160名。ベテラン技術者の暗黙知を体系的に形式知化するプロジェクトを実施。3年間で主要な技術ノウハウの80%を文書化・動画化し、新人の技術習得期間を従来の3年から2年に短縮。技術品質の安定にもつながっています。


東海の企業における暗黙知の課題

ベテラン社員の退職リスク

東海地方の製造業では、50代後半〜60代のベテラン社員が核となる技術やノウハウを持っているケースが多いです。この世代が退職すると、その知識が一気に失われます。後継者の育成が間に合っていない企業が少なくありません。

属人化の深刻さ

特定の業務が特定の社員にしかできない「属人化」の状態は、東海の中小企業で広く見られます。その社員が休むと業務が止まり、辞めると業務が消滅する。この状態は、経営上の重大なリスクです。

名古屋市の金型メーカーでは、ある熟練技術者が急病で3ヶ月間休職した結果、その技術者が担当していた特殊な加工工程が停止し、関連する受注の遅延が発生。損失は約1,500万円に上りました。

「見て覚えろ」文化の限界

東海の製造業では、「見て覚えろ」「体で覚えろ」という徒弟制度的な技術伝承の文化が根強く残っています。この方法は一対一の師弟関係では有効ですが、効率が悪く、伝承される内容が師匠の個人差に左右されるという問題があります。


経営数字で暗黙知の形式知化の効果を測る

新人の戦力化期間の短縮

暗黙知を形式知化し、教育プログラムとして整備すれば、新人の技術習得スピードが加速します。戦力化が1年早まれば、その1年分の人件費相当の「投資回収」が早まることになります。

岡崎市の精密機器メーカーでは、技術習得期間を3年から2年に短縮。新人1名あたりの育成コスト(指導者の時間コストを含む)が約200万円削減されました。

品質の安定

暗黙知が形式知化されていないと、技術の再現性が低下し、品質にばらつきが生じます。形式知化により、誰が作業しても一定の品質を維持できるようになれば、不良率の低下とそれに伴うコスト削減が期待できます。

リスクの低減

キーパーソンの離職・休職による業務停止リスクを低減できます。このリスクは定量化しにくいですが、先述の金型メーカーの事例のように、一度発生すると甚大な損失につながります。


暗黙知を形式知に変える5つのステップ

ステップ1:形式知化すべき暗黙知を特定する

まず、「何を形式知化するか」を特定します。全ての暗黙知を形式知化するのは現実的ではありません。優先順位をつけて、事業への影響度が高いものから着手します。

特定の基準は以下の通りです。その知識を持つ社員が少ない(1〜2名しか持っていない)。その知識が失われた場合、事業への影響が大きい。その知識の習得に長い時間がかかる。その知識は文書化・動画化可能である。

浜松市の機械メーカーでは、全部門の業務を洗い出し、「属人化度」と「事業影響度」の2軸で評価しました。その結果、最優先で形式知化すべき暗黙知が15件特定されました。

ステップ2:暗黙知を「引き出す」

暗黙知は、持っている本人も自覚していないことがあります。ベテラン社員に「あなたのノウハウを教えてください」と言っても、「特にノウハウなんてない。普通にやっているだけ」と返されることが多いです。

暗黙知を引き出すには、以下の方法が有効です。

作業の観察。ベテラン社員が作業している様子を、別の社員が横で観察し、記録します。「なぜここでこうするのか」「この判断はどう行っているのか」を細かく質問しながら記録します。

インタビュー。作業の流れに沿って、ベテラン社員に詳しくインタビューします。「どこが難しいか」「失敗しやすいポイントはどこか」「判断に迷うときは何を基準にしているか」——こうした質問が、暗黙知を言語化するきっかけになります。

動画撮影。作業の様子を動画で撮影し、ベテラン社員にナレーション(解説)を入れてもらいます。特に、手の動き、力加減、タイミングなど、言葉だけでは伝わりにくい技術の伝承に有効です。

ステップ3:形式知として整理する

引き出した暗黙知を、他の社員が理解・活用できる形に整理します。

マニュアル(文書)。手順を文章で記述します。写真やイラストを多用し、視覚的にわかりやすくします。ポイントや注意事項を強調し、「なぜそうするのか」の理由も記載します。

動画教材。作業の手順を動画で撮影し、ナレーションとテロップを加えた教材を作成します。スマートフォンでの撮影で十分です。

チェックリスト。作業のステップを一覧にし、漏れなく実行できるようにします。特に、品質チェックのポイントを含めたチェックリストが有効です。

ナレッジデータベース。過去のトラブルとその対処法、顧客ごとの注意事項、設備のメンテナンスノウハウなどを、検索可能なデータベースとして整備します。

ステップ4:教育・伝承の仕組みを構築する

形式知化した知識を、実際に社員に伝える仕組みを構築します。

OJT(On the Job Training)プログラム。形式知化した内容をベースに、計画的なOJTプログラムを設計します。「何を、いつまでに、どのレベルまで」習得するかを明確にし、進捗を管理します。

技術伝承ペアリング。ベテラン社員と若手社員をペアにし、一定期間、集中的に技術を伝承する仕組みです。単なる「見て覚えろ」ではなく、形式知化した教材をベースに、ベテランが補足・指導する形で進めます。

定期的な勉強会。技術や知識を共有する勉強会を定期的に開催します。ベテラン社員が講師役を務め、自らの経験とノウハウを伝える場です。

ステップ5:定期的に更新する

形式知は、一度作ったら終わりではありません。技術の進歩、設備の変更、製品の変化に合わせて、定期的に内容を更新する必要があります。年に1回、形式知の内容をレビューし、最新の状態に保つ仕組みを設けましょう。


形式知化を成功させるためのポイント

ベテラン社員の協力を得るための配慮

暗黙知を持つベテラン社員の中には、「自分のノウハウを教えたら、自分の価値がなくなる」と感じる人もいます。この不安を理解し、「あなたのノウハウを後世に残すことは、会社にとって最大の貢献です」というメッセージを伝えることが重要です。

技術伝承に貢献したベテラン社員を評価・表彰する仕組みを設けることも有効です。「教えることも仕事のうち」という文化を醸成しましょう。

完璧を求めすぎない

暗黙知の形式知化は、100%完璧にはなりません。言語化しきれない部分、動画では伝わらない微妙な感覚——こうした要素は、形式知だけではカバーできません。それでも、70〜80%を形式知化するだけで、新人の育成スピードは大幅に向上し、リスクは大きく低減します。

経営者の理解とコミットメント

暗黙知の形式知化は、短期的には「生産活動に直結しない業務」です。ベテラン社員がマニュアル作成や動画撮影に時間を使う間、その分だけ生産量が減る可能性があります。経営者がこの取り組みの重要性を理解し、必要な時間とリソースを確保することが不可欠です。

デジタルツールの活用

形式知を効率的に管理・共有するために、デジタルツールの活用も検討しましょう。動画共有プラットフォーム、社内Wiki、ナレッジ管理ツール——こうしたツールを活用することで、形式知へのアクセスが容易になり、必要なときにすぐに参照できる環境が整います。ただし、ツールの導入はあくまで手段です。まずはコンテンツ(形式知そのもの)の整備が先であり、ツールの選定は後からでも遅くありません。

静岡市の機械メーカーでは、スマートフォンで撮影した作業動画を社内のクラウドストレージに保存し、QRコードを各設備に貼り付けることで、現場の作業者がいつでも動画を参照できる環境を構築しました。特別なシステムを導入しなくても、既存のツールで十分に形式知の共有は可能です。


まとめ:暗黙知は企業の「見えない資産」

暗黙知は、企業の貸借対照表には載らない「見えない資産」です。しかし、この見えない資産が失われたときのインパクトは甚大です。ベテラン社員の退職と共に暗黙知が消失し、技術力が低下し、品質が不安定になり、競争力を失う——こうした事態は、手を打たなければ確実に起こります。

東海地方の製造業にとって、暗黙知の形式知化は「やった方がいい」取り組みではなく、「やらなければならない」取り組みです。特に、ベテラン社員の退職が近い企業は、一刻も早く着手すべきです。

まずは、自社の中で「この人が辞めたら困る」という社員をリストアップしてください。そして、その社員が持っている暗黙知のうち、最も事業への影響が大きいものを一つ特定し、形式知化に着手する。この一歩が、企業の技術力と競争力を守る取り組みの始まりです。

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