
愛知の自動車関連企業がEV時代の人材戦略を再構築する方法
目次
愛知の自動車関連企業がEV時代の人材戦略を再構築する方法
「うちはエンジン屋だから、EVになったら仕事がなくなるかもしれない」——愛知県内の自動車部品メーカーの社長から、こんな言葉を聞くことが増えました。
私はこれまで500社以上の人事に携わってきましたが、EV(電気自動車)シフトほど、人材戦略の根本的な見直しを迫る変化はそうありません。内燃機関の部品製造で数十年の実績を持つ企業が、事業構造の転換に伴い、これまでとはまったく異なるスキルを持つ人材を必要としている。これは単なる「採用の課題」ではなく、会社の存続をかけた経営課題です。
愛知県には、トヨタ自動車を頂点とするピラミッド型のサプライチェーンが存在します。Tier1からTier3まで、数千社が自動車産業を支えています。この構造が、EV化という波に直面したとき、一つひとつの企業の人材戦略に大きな影響を及ぼしています。ある刈谷市の自動車部品メーカーでは、従業員120名のうち約70名がエンジン関連の加工に携わっていました。「5年後にはこの70名分の仕事が半減するかもしれない」という危機感から、人事戦略の見直しが始まったのです。
EV化が人材戦略に与える影響の全体像
まず整理しておきたいのは、EV化が人材にどのような影響を与えるか、その構造です。
内燃機関(ガソリン・ディーゼルエンジン)に使われる部品点数は約3万点と言われています。一方、EVの部品点数はその半分程度、約1万5千点。つまり、EV化が進むと、部品製造に携わる人材の需要が構造的に減少する可能性がある。
しかし同時に、新たに必要となるスキル領域が生まれています。バッテリー関連技術、パワーエレクトロニクス、ソフトウェア制御、軽量化素材の加工——これらは、従来の自動車部品メーカーが必ずしも得意としてきた分野ではありません。
愛知県の製造業にとって、この「既存スキルの余剰」と「新規スキルの不足」が同時に起きるという構造が、人材戦略の再構築を複雑にしています。
私が関わった豊田市のTier2メーカーでは、この状況を「人材ポートフォリオの転換」として捉え、3年計画で取り組みを始めました。重要なのは、既存社員を「不要な人材」として切り捨てるのではなく、事業転換とともにスキルを移行させていく——そういう発想で人事戦略を考えることです。
愛知の自動車産業が持つ特殊な構造
愛知の自動車産業には、全国の製造業とは異なる特殊な構造があります。人材戦略を考える上で、この構造を理解することが不可欠です。
ピラミッド型サプライチェーンの中の位置づけ
トヨタ系列の中にいる企業は、発注元からの技術要件に応じて人材を配置してきました。つまり、人材戦略の「起点」が自社の経営判断ではなく、発注元の方向性に依存していた面があります。EVシフトにより、この依存構造そのものが揺らいでいます。
あるTier3の金属加工メーカーの人事部長は、こう語っていました。「これまでは親会社の図面通りに作れる人がいれば良かった。でもこれからは、自分たちで新しい加工方法を提案できる人材が必要になる。受け身の人材配置から能動的な人材育成へ、根本的に変えないといけない」。
地域全体での人材の流動性
愛知県、特に西三河地区では、自動車関連企業間で人材が流動しています。A社を辞めた技術者がB社に移り、B社からC社へ——という形で、同じ産業内での転職が一般的です。しかし、EV化で求められるスキルセットが変わると、この流動性のあり方も変化します。ソフトウェアエンジニアやバッテリー技術者は、名古屋市内のIT企業や東京の大手メーカーとも競合するため、従来のような地域内循環だけでは人材確保が難しくなっています。
長期雇用を前提とした組織文化
トヨタの影響もあり、愛知の製造業には「一つの会社で長く勤める」という文化が根強く残っています。この文化は、社員のスキル蓄積や現場の改善活動においては強みですが、事業転換期には「新しいスキルを学ぶことへの抵抗感」として顕在化することがあります。40代、50代の技術者が「今さら新しいことを覚えるのは無理だ」と感じてしまう——この心理的なハードルも、人事戦略の中で対処する必要があります。
経営数字から人材戦略を逆算する
EV時代の人材戦略を考えるとき、私が最初にお伝えするのは「経営数字から逆算してください」ということです。
「EVに対応しなければならない」「新しいスキルが必要だ」——こうした漠然とした危機感だけでは、具体的な人事施策につながりません。必要なのは、数字に基づいた現状把握と将来予測です。
売上構成の変化を予測する
まず、自社の売上のうち内燃機関関連が何パーセントを占めているかを明確にします。次に、主要取引先の方針やEV市場の成長率を踏まえて、3年後・5年後にその比率がどう変わるかを試算します。
私が関わった安城市の部品メーカーでは、2023年時点で売上の85%がエンジン関連でした。主要取引先のEV計画を踏まえた試算では、2028年にはこの比率が60%まで下がる見込みでした。つまり、売上の25%分に相当する新規事業を3〜5年で立ち上げるか、既存技術をEV向けに転用する必要がある。
この数字が見えると、「では新規事業に必要な人材は何名で、どんなスキルが求められるか」「既存社員のうち何名をリスキリングの対象とするか」「外部採用は何名必要か」——といった人材計画の具体的な議論が可能になります。
人件費の配分を見直す
EV関連の新規事業を立ち上げるには、当然投資が必要です。設備投資だけでなく、人材投資にもコストがかかる。リスキリングの研修費、新規採用の採用費、場合によっては新規事業立ち上げに伴う一時的な生産性低下——これらをすべて含めた「人材投資計画」を経営者と共有することが、人事の役割です。
ある企業では、年間人件費4億円のうち5%にあたる2,000万円を「人材転換投資」として予算化しました。研修費1,200万円、外部採用費500万円、社員の学習時間確保のための代替要員費300万円。こうした数字を経営会議で提示できる人事担当者がいるかどうかで、会社の変革スピードが大きく変わります。
既存社員のリスキリング:現実的なアプローチ
「リスキリング」という言葉が広く使われるようになりましたが、製造現場で実際にリスキリングを進めるのは容易ではありません。特に、20年以上同じ工程を担当してきたベテラン技術者に対して「新しいスキルを身につけてください」と言うだけでは、実効性がありません。
段階的なスキル移行の設計
重要なのは、既存スキルと新規スキルの「接点」を見つけることです。金属加工の技術者は、素材の特性理解や精密な寸法管理の経験があります。これはバッテリーケースの加工や軽量化部品の製造にも活かせるスキルです。「まったく新しいこと」ではなく、「今のスキルの延長線上にある新しい仕事」として再定義することで、心理的なハードルが下がります。
豊橋市のプレス加工メーカーでは、エンジン部品のプレス工程を担当していた技術者チームに、まずEV向けバッテリーケースの試作を任せました。「素材が変わるだけで、プレスの基本は同じ」という説明から始め、段階的に新しい素材知識や品質基準を学んでもらう——このアプローチにより、6ヶ月で新工程の立ち上げに成功しました。
学習機会の設計と時間の確保
リスキリングの最大のボトルネックは「学習する時間がない」ことです。製造現場は日々の生産に追われており、研修のために人を抜くと生産ラインが止まる。この問題を解決するには、経営判断として学習時間を確保する仕組みが必要です。
ある企業では、週に半日(金曜午後)を「技術学習の時間」として全社的に確保しました。その分の生産計画を週の前半に前倒しし、金曜午後は外部講師によるセミナーやオンライン学習に充てる。最初は「生産が減る」と反対する声もありましたが、半年後にはこの時間が新規受注の獲得につながる技術提案力の向上に寄与し、結果的に売上増に貢献しました。
ベテラン技術者の知見を活かす仕組み
リスキリングは「古いスキルを捨てて新しいスキルを身につける」ことではありません。ベテラン技術者が持つ暗黙知——例えば「この素材はこの温度帯で加工すると歪みが出る」「この工程の精度を上げるにはこの冶具の当て方が重要」といった知見は、新しい工程においても応用可能な場合が多い。
ベテラン技術者を「リスキリングの対象」としてだけ見るのではなく、「新しい工程の技術指導者」として位置づけることが、組織全体のスキル移行を加速させます。刈谷市の企業では、50代のベテラン技術者2名を「技術移行アドバイザー」に任命し、新工程の品質基準策定に参画してもらうことで、若手技術者の育成と新工程の立ち上げを同時に進めました。
新規人材の採用:何をどう変えるか
リスキリングだけでは対応できない領域もあります。特にソフトウェア開発やバッテリー設計など、社内に知見がまったくない分野では、外部からの人材獲得が不可欠です。
採用ターゲットの再定義
従来の自動車部品メーカーの採用は、「機械加工の経験者」「品質管理の経験者」が主なターゲットでした。EV時代には、ここに「組み込みソフトウェアエンジニア」「電気回路設計者」「データ分析人材」などが加わります。
ただし、こうした人材は愛知県内でも引く手あまたです。トヨタ本体やデンソー、アイシンなどの大手が積極的に採用を進めている中で、中小の部品メーカーがどう差別化するか——これが最大の課題です。
中小メーカーならではの採用メッセージ
私の経験では、大手には提供できない「働く意味」を伝えられるかどうかが、中小メーカーの採用の鍵を握ります。
ある岡崎市の部品メーカーでは、「大企業では歯車の一つだけど、うちなら入社2年目でプロジェクトリーダーになれる」というメッセージを採用広報の柱に据えました。実際に、入社2年目の電気系エンジニアがEV向け新製品の開発プロジェクトのリーダーを務めており、その事例を具体的に紹介することで、大手志向のエンジニアからも応募が来るようになりました。
大手にいると、自分の仕事が最終製品にどうつながっているのかが見えにくい。しかし、従業員50〜200名規模の部品メーカーなら、設計から量産まで一人のエンジニアが一貫して関わることができる。この「手触り感」は、技術者にとって大きな魅力になり得ます。
名古屋・豊橋のIT企業との人材争奪
ソフトウェア人材の採用では、自動車業界内だけでなく、IT企業とも競合します。名古屋市内のIT企業は、リモートワークやフレックスタイムなど柔軟な働き方を提供しており、この点で製造業は不利に見えるかもしれません。
しかし、「ソフトウェアがモノを動かす」という体験は、IT企業のWebサービス開発では得られないものです。自分が書いたプログラムが実際の車を動かす——この醍醐味を伝えることが、製造業のソフトウェア人材採用の差別化ポイントになります。
組織構造の見直し:事業転換に対応する体制づくり
人材戦略の再構築は、個人のスキルだけでなく、組織構造の見直しも含みます。
既存事業と新規事業の「両利き」の組織設計
EV化への対応は、既存のエンジン関連事業を一気に縮小するのではなく、当面は既存事業で収益を確保しながら新規事業を育てていく——いわゆる「両利きの経営」が求められます。
人事の観点からは、この「両利き」を組織構造にどう反映させるかが問われます。既存事業部門と新規事業部門を完全に分けるのか、兼任させるのか、ローテーションで行き来させるのか——正解は企業の状況によって異なります。
西尾市の部品メーカーでは、既存事業部門の中に「新技術検討チーム」を設置し、各部門から1名ずつ兼任で参加させました。完全に別組織にすると「あっちは新しいことをやっていいな」「こっちは古い仕事ばかり」という心理的な分断が起きるため、既存組織の中に新しい要素を組み込むという判断でした。結果的に、新技術チームの検討成果が既存製品の改良にもつながり、全社的な技術力の底上げになりました。
評価制度の再設計
事業転換期には、評価制度も見直す必要があります。従来の「決められた作業を正確に速くこなす」という評価軸に加えて、「新しい技術を学んだ」「新しい工程を提案した」「社外の技術セミナーに参加した」といった「学習と挑戦」に対する評価を組み込むことが重要です。
ただし、評価制度の変更は社員への影響が大きいため、慎重に進める必要があります。いきなり評価基準を変えるのではなく、まずは「加点項目」として新しい評価軸を追加し、既存の評価体系との整合性を取りながら段階的に移行するアプローチが現実的です。
地域連携による人材育成の可能性
愛知の自動車関連企業は、1社だけでEV時代の人材課題を解決することは難しい。地域の企業や教育機関との連携が、中長期的な人材確保の鍵になります。
地域の工業高校・高専・大学との連携
愛知県には豊田工業大学、名古屋工業大学、豊橋技術科学大学など、ものづくりに強い教育機関があります。これらの大学との産学連携を通じて、EV関連技術を学んだ学生に自社のインターンシップを提供し、採用につなげる取り組みが始まっています。
あるメーカーでは、名古屋工業大学のバッテリー研究室と共同研究を行い、その研究に参加した大学院生を2名採用することに成功しました。「研究成果が実際の製品に活かされる」という体験が、学生の入社動機になったのです。
同業他社との人材育成連携
通常、同業他社は人材の「競合」です。しかし、EV時代の技術変革はすべての企業に共通する課題であり、人材育成においては協力できる余地があります。西三河地区では、5社の中小部品メーカーが共同でEV関連技術の研修プログラムを立ち上げた事例があります。1社あたりの負担を抑えながら、質の高い研修を実現できるというメリットがあります。
人材戦略を経営戦略に接続する
最後に、最も重要なことを述べます。EV時代の人材戦略は、人事部門だけの仕事ではありません。経営戦略と一体で設計する必要があります。
「どの事業を伸ばし、どの事業を縮小するか」「新規事業の売上目標はいくらか」「そのために必要な投資額と人材数はどれだけか」——こうした経営の根幹に関わる議論に、人事が参加することが不可欠です。
私が見てきた企業の中で、EV時代の変革にうまく対応できているところには共通点があります。それは、人事責任者が経営会議に参加し、事業計画と人材計画を同時に議論していることです。「事業計画を作ってから人材計画を後追いで作る」のではなく、「事業計画の中に人材計画が組み込まれている」——この差が、変革のスピードと実効性を大きく左右します。
愛知の自動車産業は、100年に一度と言われる変革期にあります。この変革を乗り越えるための人材戦略は、「正解のない問い」に向き合い続けるものです。しかし、経営数字に基づいた現状把握、段階的なスキル移行の設計、地域連携の活用——こうした実践を積み重ねることで、EV時代の到来を「脅威」ではなく「事業進化の機会」に変えていけると、私は信じています。
変革期の人事に求められるマインドセット
EV時代の人材戦略を推進する上で、人事担当者自身のマインドセットも重要なテーマです。
これまでの自動車部品メーカーの人事は、どちらかというと「安定した操業を支える」役割でした。毎年一定数を採用し、退職者を補充し、昇給・昇格のルールを運用する——そういった管理業務が中心だった企業が多い。
しかし、事業転換期の人事には「変革のパートナー」としての役割が求められます。経営者と事業の未来を語り、現場の技術者と技術の変化を議論し、教育機関と連携して次世代の人材パイプラインを構築する——こうした動き方は、従来の人事の枠を大きく超えるものです。
碧南市の部品メーカーで人事課長を務める方は、自らEV関連の技術セミナーに参加し、製造現場のリーダーと一緒にバッテリー工場の見学に行くようになりました。「技術のことがわからないまま人事戦略を語るのは無責任だと思った」という言葉は、変革期の人事が持つべき姿勢を端的に表しています。
人事が技術の専門家になる必要はありません。しかし、事業の変化が何をもたらすのかを理解し、それを人材の言語に翻訳できること——これが、EV時代に求められる人事の力だと考えています。
愛知の自動車関連企業にとって、EV化は避けられない変化です。しかし、その変化の中にこそ、組織を進化させるチャンスがある。人材戦略の再構築は、そのチャンスをつかむための最も重要な取り組みです。
本記事は、東海地方の製造業における人事課題を長年支援してきた経験に基づいて執筆しています。個別の人事課題についてのご相談は、人事のプロ実践講座にてお受けしています。
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