
静岡の水産加工業が人材確保と品質維持を両立させる方法
目次
静岡の水産加工業が人材確保と品質維持を両立させる方法
「魚を扱える人が来ない。来ても、においと寒さで辞めてしまう」——焼津市の水産加工会社の社長の言葉が、いまだに忘れられません。
私はこれまで500社以上の企業の人事に携わってきましたが、水産加工業の人材課題は、他の食品製造業と比べても特殊です。原料の鮮度管理、衛生基準の厳格さ、季節変動の大きさ——これらが重なる中で、安定した人材確保と品質維持を両立させることは、並大抵のことではありません。
静岡県は、日本有数の水産加工業の集積地です。焼津港は遠洋漁業の拠点として全国トップクラスの水揚量を誇り、焼津・藤枝エリアにはかつお節、まぐろ加工、缶詰、練り製品など多様な水産加工メーカーが集積しています。沼津市のひもの加工、御前崎市のしらす加工——静岡県全域にわたって水産加工業は重要な地場産業です。
しかし、この産業を支える人材が慢性的に不足しています。焼津市のあるかつお節メーカー、従業員35名。5年前は毎年2〜3名の退職があり、採用に苦労し続けていました。人事の仕組みを見直してからの3年間で離職率は半減し、地元の若手だけでなく県外からの移住者も加わって、安定した人材体制を構築しています。
静岡の水産加工業が直面する人材課題の構造
水産加工業特有の人材課題を、構造的に整理します。
労働環境の厳しさ
水産加工の現場は、低温環境(5〜10度の作業場)、魚特有のにおい、長時間の立ち仕事——が基本です。冬場は特に厳しく、冷凍マグロを扱う工場では零下20度の冷凍庫に出入りする作業もあります。
「慣れれば平気」とベテランは言いますが、初めて体験する人にとっては大きなハードルです。入社初日ににおいで気分が悪くなり、翌日から来なくなった——という話も聞きます。
季節変動の大きさ
水産加工業は、お歳暮シーズン(11〜12月)とお中元シーズン(6〜7月)に生産がピークを迎えます。焼津のかつお節メーカーでは、12月の生産量が通常月の2.5倍に達します。この繁忙期に合わせた人員確保が、毎年の課題です。
漁獲量の変動リスク
水産加工業の原料は「海からの恵み」です。漁獲量の変動、漁場の変化、国際的な漁業規制——これらの外部要因が、生産計画と人員計画に影響を与えます。「原料が入ってこないから今週は休み」「急に大量入荷したから緊急で出勤」——こうした不安定さが、安定志向の求職者を遠ざけています。
若者の水産加工業離れ
焼津市の人口は減少傾向にあり、若年層の水産加工業への就職も減少しています。「地元にいても、魚屋さんには就職したくない」という若者の声がある一方、水産加工業の仕事の実態や魅力が十分に伝わっていないことも原因の一つです。
経営数字から人材課題のインパクトを測る
人材課題を感覚ではなく、数字で捉えることが、経営者との対話の出発点です。
人手不足による受注逸失
水産加工メーカーにとって、繁忙期に人が足りず生産が追いつかないことは、売上の逸失に直結します。焼津市のまぐろ加工メーカーでは、お歳暮シーズンの受注のうち約15%を「人手不足で対応できない」として断っていました。断った受注の合計額は年間約2,000万円。採用や労働環境改善に500万円投資しても、4倍のリターンが見込める計算です。
品質トラブルのコスト
人手不足は品質にも影響します。慣れない臨時スタッフによる作業ミス、疲労蓄積による注意力の低下——これらが品質トラブルの原因になります。異物混入1件の対応コスト(製品回収、原因調査、得意先への謝罪、再発防止策)は、規模にもよりますが数百万円から数千万円に達することがあります。
離職コストの試算
水産加工の技術者(魚の目利き、包丁技術、品質判断)が一人前になるまでには2〜3年かかります。この期間の教育コストを考えると、1名の離職で300〜500万円の損失が発生します。離職を防ぐための投資は、この損失額を上限として経営判断の基準になります。
人材確保の具体的なアプローチ
ここからは、静岡の水産加工業が実践している人材確保の具体策を紹介します。
1. 労働環境の改善に投資する
人材確保の第一歩は、「来たいと思える職場」を作ることです。水産加工の労働環境は確かに厳しいですが、改善の余地は大きい。
におい対策
最新の換気設備や脱臭装置の導入により、作業場のにおいを大幅に軽減できます。焼津市のかつお節メーカーでは、300万円をかけて高性能換気システムを導入しました。完全に無臭にはなりませんが、「これなら大丈夫」と感じるレベルまで改善された結果、求人への応募数が1.5倍に増加しました。
温度環境の改善
冷蔵作業場での防寒対策として、防寒服の支給は当然ですが、それに加えて「暖かい休憩室」の整備が効果的です。作業場と休憩室の温度差が身体に負担をかけるという課題もありますが、暖房完備の快適な休憩スペースがあるだけで、社員の満足度は大きく変わります。
御前崎市のしらす加工メーカーでは、休憩室をリフォームし、エアコン、給湯設備、電子レンジ、冷蔵庫を完備しました。リフォーム費用150万円に対し、「休憩が快適になった」という声が口コミで広がり、パート応募者が増加。投資以上の効果が得られています。
作業の省力化
重量物の搬送にはコンベアやリフトを活用し、包装工程の自動化を進める。こうした設備投資は、労働環境の改善と生産性の向上を同時に実現します。
2. 地元の人材パイプラインを構築する
水産関連の学校との連携
焼津水産高等学校は、水産加工業の人材供給源として重要な存在です。この学校との連携を強化し、インターンシップの受け入れ、出前授業、工場見学——を通じて、水産加工業の仕事の魅力を在学中に伝えることが重要です。
焼津のある大手水産加工メーカーでは、焼津水産高校の生徒を毎年3〜5名のインターンとして受け入れています。2週間のプログラムで、原料の受入から加工、品質検査、出荷まで一連のプロセスを体験してもらう。インターン経験者の約30%が卒業後に入社しており、安定した採用パイプラインになっています。
主婦層・シニア層の活用
水産加工の作業には、パートタイムで対応可能な業務が多くあります。選別、盛り付け、包装、ラベル貼り——こうした作業は、地元の主婦層やシニア層が活躍できる領域です。
藤枝市の練り製品メーカーでは、「朝9時〜午後2時」の短時間シフトを設定し、子育て中の主婦を中心に15名のパートスタッフを確保しています。学校行事や子どもの体調不良時の柔軟なシフト変更に対応する体制を整えたことが、パートの定着に大きく寄与しています。
3. 外国人材の戦略的受け入れ
静岡の水産加工業では、外国人材の活用が急速に進んでいます。ベトナム、インドネシア、ミャンマーからの技能実習生や特定技能人材が、加工ラインで重要な役割を担っています。
焼津市の水産加工メーカーでは、ベトナム人技能実習生8名を受け入れています。日本語教育の支援、ベトナム語の作業マニュアル整備、文化の違いへの配慮(食事のハラール対応を含む宗教的配慮、国の祝日への理解)——こうした受け入れ体制の整備に初年度200万円を投資しましたが、安定した労働力の確保効果を考えれば十分に合理的な投資です。
外国人材を受け入れる際に最も重要なのは、「安い労働力」ではなく「チームの一員」として迎え入れる姿勢です。日本人社員と同じ食堂で食事をし、同じイベントに参加し、同じ目標に向かって働く——この当たり前の環境が、外国人材の定着率を大きく左右します。
4. 「水産加工の魅力」を発信する
水産加工業の仕事は、実は奥が深く、やりがいのある仕事です。魚の目利き、包丁技術、品質管理——これらの技術を極めることは、一種の「職人」としての誇りにつながります。
しかし、この魅力が外部に伝わっていないことが、採用力の低下の一因です。
沼津市のひもの加工メーカーでは、社員がInstagramで「ひものができるまで」の工程を動画で発信しています。熟練した手さばきで魚を開く技術、朝日の中での天日干しの風景、完成したひものの美しさ——こうした映像が、「水産加工ってカッコいい」という新しいイメージを生み出しています。フォロワーは2,000人を超え、「動画を見て応募しました」という求職者も出てきました。
品質維持のための人材育成
水産加工業において、品質は企業の生命線です。人材を確保するだけでなく、品質を維持・向上させるための育成の仕組みが不可欠です。
衛生管理教育の徹底
水産加工は食品を扱うため、衛生管理が極めて重要です。HACCP(危害要因分析重要管理点)に基づく衛生管理を全社員に徹底するための教育プログラムが必要です。
新人への初期教育(入社時の衛生講習3時間)、定期的な再教育(月1回の衛生勉強会30分)、現場での日常指導(手洗い、作業服の管理、温度記録)——こうした多層的な教育体制が、品質を支えます。
技術の段階的な習得プログラム
水産加工の技術は、一朝一夕には身につきません。魚の種類による処理方法の違い、鮮度の見極め、包丁の使い方——これらを段階的に習得していくプログラムが、人材育成の基盤になります。
焼津市のかつお節メーカーでは、3年間の技術習得プログラムを設計しています。1年目は基本的な加工作業の習得、2年目は複数の魚種への対応と品質判断、3年目はライン全体の管理と後輩への指導——各段階の到達基準を明確にし、半年ごとに上長と面談して進捗を確認します。
この「見える化」された成長の道筋が、若手のモチベーション維持に効果を発揮しています。「今ここにいる自分」と「次に目指すステップ」が明確になることで、「この仕事を続ける意味」が実感できるのです。
多能工化による品質と効率の両立
1人の社員が複数の工程をこなせる「多能工化」は、季節変動への対応力を高めるだけでなく、品質管理の観点からもメリットがあります。複数の工程を理解している社員は、前工程の品質が後工程にどう影響するかを理解しているため、工程間の品質の連続性を保ちやすいのです。
静岡市の缶詰メーカーでは、全社員の多能工化率(2工程以上を担当できる社員の割合)を65%から85%に引き上げました。繁忙期のライン間の応援配置がスムーズになっただけでなく、品質トラブルの発生率も20%低下しました。
季節変動への対応戦略
水産加工業の人材計画で避けて通れないのが、季節変動への対応です。
「コア人材」と「変動人材」の二層構造
通年で安定的に雇用する「コア人材」と、繁忙期に追加する「変動人材」を明確に分け、それぞれに適した管理方法を適用することが基本です。
コア人材は、品質判断、ライン管理、衛生管理——こうした責任ある業務を担う正社員と固定パートで構成します。変動人材は、包装、ラベル貼り、梱包——比較的短期間で習得可能な作業を担う短期パートや派遣スタッフで構成します。
リピーターの確保
毎年同じ繁忙期に来てくれる「リピーターパート」の存在は、品質維持の観点からも非常に重要です。初めてのスタッフは衛生教育から始める必要がありますが、リピーターは前年の経験があるため、即戦力として稼働できます。
御前崎市の水産加工メーカーでは、繁忙期終了時にリピーターパートに対して「感謝の気持ち」を形にしています。手書きの感謝状、自社製品の詰め合わせ、来期の早期予約時給アップ——こうした工夫により、リピーター率が85%を超え、毎年の人員確保が安定しています。
経営者と人事が一体で取り組む品質経営
水産加工業における人材確保と品質維持の両立は、人事部門だけの課題ではありません。経営者が品質と人材の関係を理解し、投資判断を行うことが不可欠です。
「品質は人が作る」——この原則に立ち返れば、人への投資は品質への投資であり、品質への投資は売上と信頼への投資です。
静岡の水産加工業は、日本の食文化を支える重要な産業です。この産業が持続的に発展するためには、経営数字に基づく人材投資、労働環境の改善、技術承継の仕組み化——これらを地道に積み重ねていくことが求められます。海の恵みを最高の品質で届けるために、人を育て、人を活かす組織をつくる。その取り組みは、静岡の水産加工業の未来そのものです。
本記事は、東海地方の水産加工業における人事課題を支援してきた経験に基づいて執筆しています。個別の人事課題についてのご相談は、人事図書館にてお受けしています。
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